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ホーム > 釜石のひと > 小笠原静子さん

峠の茶屋 女主人
小笠原静子さん

「今日はわざわざ来てくれてほんとにありがとう」そう言いながらにっこりと出迎えてくれた静子さん。

穏やかな笑顔と優しい口調、おいしいカレーとひっつみ汁で多くの人を惹きつける静子さんには根強いファンが多い。

 

≪わたしがやってみなくっちゃ≫

橋野には、美味しい野菜や、美しい食器が眠っていたことを知っていた静子さん。

これは生かさなきゃもったいない!と思い60歳になったとき主婦の会で食堂を始めようと決意。

食堂を始めるにあたって調理師免許をとろうとしたら子どもたちからは「もう年だし、無理に決まってるよ。」と言われた。

しかしここで諦めないのが静子さん。

「やってみなきゃわからないじゃない」という気持ちで必死に勉強した。

そして国家試験である調理師免許に一発合格!

念願の食堂を始めることができた。

しかし、静子さんが70歳になったころメンバーも高齢になり、いつの間にか静子さん一人になってしまった。

「せっかく始めたんだもの。一人でもやらなくっちゃ。」

そう意気込んで峠の茶屋を今でもせっせと切り盛り。

地元のひとだけでなく、東京や神奈川、愛知など県内外を問わずわざわざ静子さんの料理を食べにくるひとは多い。温かいひっつみ汁と、野菜たっぷりのカレーを用意して静子さんはお客さんを待っている。

≪ひととの出逢いから生まれた峠のカレー≫

宝来館の女将さんからの要望でカレーを作ってほしいと頼まれた。

そこで作っていたカレーがあるお客さんの目に留まり、峠の茶屋のメニューに盛り込むべきだと言われた。

お店で売り出すならば半端なものではだめだと静子さんは思い、有名カレー専門店で修業を始めた。たくさんのひとからアドバイスをもらい、自ら工夫を重ね、今では看板メニューである峠のカレーが出来上がった。しずこさんの料理は色んなひとが関わって生まれている。沢山のひとの思いがつまった峠のカレーは峠の茶屋に来たら是非たべることをお勧めする。

≪愛され続けるひっつみ汁≫

こだわりの出汁、静子さんが作った野菜、愛情たっぷりのひっつみはみんな大好きだ。

そんなひっつみ汁は日本を問わず世界からも愛されている。

アメリカから学生がきたとき、静子さんはひっつみ汁をふるまった。口に合わないのではないかと静子さんは不安だった。

しかし、お皿を見てみると、みんな完食!

「これは日本のスープだけではもったいない、世界のスープにしよう!」

「日本にきたときには必ず立ち寄るから、それまで元気でお店を続けていてほしい。」

「おいしかった!」

などとアメリカの学生は静子さんに口々に言った。

涙がでるほど静子さんは嬉しかった。

来てくれるお客さんのために今日も変わらない味を静子さんは作り続けている。

≪静子さんにとってふるさととは≫

“故郷は生命力を与えてくれる所”

ふるさとには“生きる力を与えてくれるもの”がたくさんある。

動物も、植物も、そして美味しい食べ物も自分に生きる力を常に与えてくれる。

そして何より、静子さんのふるさとを訪れる“ひと”こそが静子さんに力を与えている存在なのかもしれない。