【カメラを始めたきっかけ】
父親の介護を終えて、自分の時間が持てるようになったhanaさん。友人からブログを進められ、
ブログを始めたことで、写真を撮るようになった。レンズを覗くと、
今まで意識していなかった四季の移り変わりや日常の新しい発見をカメラを通して見つけられるようになった。
その発見の喜びこそ、hanaさんがカメラにのめり込むきっかけになった。
【震災を経験して】
今でこそ、地元大槌や釜石の写真をとるhanaさんだが、地元を撮影するようになったのは震災後からだという。
震災当時、大きく変わってしまった地元を見て、カメラを取り出す気力なんてどこにもなった。
しかし、ふと思ったことはここで震災があったことをまだ幼い孫にどうやって伝えようかということ。
「 自分には写真しかない、おばあちゃんがとった写真を通して孫に震災を伝えたい。」
その思いから、hanaさんは大槌の町を歩き、必死にシャッターをきった。
また同じ頃、未来新聞のボランティアのひとから、
避難所の情報交換のために新聞に掲載する写真をとってほしいと依頼され、再びシャッターをきった。
やはり自分にできることは“写真をとること”だとhanaさんは確信した。
それ以来、地元大槌、釜石の写真をhanaさんはとり続けている。
【仮設で写真のワークショップ】
震災後、仮設にこもりがちになったお年寄りを見たhanaさんは、仮設で写真のワークショップを開催した。
おじいちゃん、おばあちゃんに一人一台カメラを持たせた。
そこでhanaさんは「自分にとっての宝物を撮ってくる」という宿題をだした。
家族やペットの写真、流された家に残された仏像の写真まで、仮設にこもっていたお年寄りは、
次々に外に出ていき思い思いに自分の宝物を撮影した。
一人ひとり震災の悲しみは癒えないけれど、カメラを持っている間はみんなが生き生きとしてくれた。
そんな光景がhanaさんにとって嬉しかった。カメラの持つ”人を元気にさせる力”をひしひしと感じた。
【現在の活動】
カメラマンとして、結婚式や七五三の撮影の仕事を請け負うのはもちろんのこと、
Meetup Kamaishiでは釜石の鉄人として栗林地域の歴史や文化を紐解きながら、
参加者に撮影のレクチャーを行っている。
また、「ゆかたで夕涼み」というイベントを立ち上げ釜石に賑わいを戻そうと精力的に活動している。
【はなさんにとってふるさととは】
“大切な人のいるところ”
震災前、地元大槌はただ自分が住んでいる場所という認識でしかなった。
しかし震災やカメラの活動を通して“人とのつながり”の大切さに気づき、
“人”こそが自分の帰る場所であり、ふるさとなのだとはなさんは語った。