【釜石へやってきて】
震災から1年が経ったある日、たまたま三陸地方を訪れる機会があった。
震災の被害を見たときに、唐突に思ったことは“ここにいなきゃ”ということ。
人のご縁もあり、東京の仕事をやめて釜石へ移住。釜石市役所の職員となった。
明確なビジョンなんてなかった。
どんな些細なことでも、やれることをやっていこうと始めた釜石での仕事。
釜石に暮らすようになって、以前よりも自己決定に基づく生き方(自分の人生を自分で決める)を
実践できるようになったと石井さんは話す。
釜石という場所や背景から求められていることと、
自分の信条から生まれるやるべきことを行き来しながら、多様なプロジェクトをつくり続けてきた。
“たゆまぬ行動、行動するひとを支える制度づくり、
理念の磨き上げ”という3つのサイクルを回し続けることで、
石井さんは静かな“革命家”であり続けている。
【彼が目指すオープンシティ戦略のビジョン】
700名を超える市民との対話を通じて生まれたオープンシティ戦略のキーワードは、
“活動人口”と“つながり人口”だと石井さんは言う。
活動人口とは釜石に暮らすアクティブなひとを指し、
つながり人口とは釜石に住民票はないけれど、
関わりを持っている会社、ひとを指す。
釜石の魅力を自分の言葉で伝え、釜石をより良く変える
アクションを起こすアクティブな市民がいるからこそ、外から釜石に人が惹きつけられる。
そして惹きつけられた人が、釜石の魅力を外に発信していくという“つながりの好循環”が生まれ、
釜石は活力を維持し発展することができる。
この循環こそが、オープンシティ戦略の目指すまちづくりであり、
人口減少・少子高齢化時代における、持続可能なまちづくりの探求なのだと。
【釜援隊】
釜石で復興まちづくりを推進し、地域コミュニティ支援や新たな価値創造に取り組むひとたちを
応援することに焦点をあてたプロジェクトが、石井さんが事務局長を務める
「釜石リージョナルコーディネーター(通称:釜援隊)」である。
いかに復興に携わるひとを増やし、まちづくりに主体的に関わるひとを増やせるか。
住民と行政、地域の中と外、理想と現実といった様々な“はざま”で活動を展開する釜援隊を通じて、
復興の先を見据えたまちづくりの歩みが前に進められている。
【石井さんにとってのふるさととは】
“故郷(ふるさと)がなければつくればいい”
石井さんはふるさとと聞いてすぐ思いつく場所を釜石だと言った。
「生まれた場所は別のところにあるけど、釜石にいて、まちのことを考えて、つくって、また考えて。
“都会に住んでいると、ふるさとを感じない”なんて言いますが、自らの手でつくればいい。」
と石井さんは話す。
自分が実感をもって関われる場所がふるさとだと石井さんは語った。