青年海外協力隊員としてアフリカで2年間の任期を務めたあと、釜援隊の一員として@リアス NPO サポートセンターに派遣配属されたなっちゃん。
おじいちゃん、おばあちゃんを始め、地元釜石の人から大人気のなっちゃん
≪なっちゃんとアフリカ≫
現在は釜援隊として活動しているなっちゃんだが、もともとは大学で国際協力の勉強をしていた。
そのため、将来的にはアフリカで開発の仕事に就くことを目指していた。
青年海外協力隊にエントリーし、協力隊員としてアフリカに行くことが認められ、2か月間の派遣前訓練が終了したのが震災の起きた2011年 3月11日。
長野の研修所からなんとかして釜石まで帰ってきたなっちゃんが見た光景は変わり果てたふるさとの姿。
憧れのアフリカにやっと行けると思っていた矢先に、震災が起きてしまった。釜石に残るか、アフリカに行くか悩んだなっちゃん。
周囲の「いってきなさい」という後押しもあり、地元を離れ2年間アフリカのセネガルで村落開発普及員として女性と子供の生活向上のための活動に取り組んだ。
≪釜石に帰ってきたなっちゃん≫
2年間の任期を終えて、なっちゃんは釜石に戻ってきた。
戻ってきた理由は、震災直後に地元を離れ何もできなかったことが心にひっかかっていたこと、そして震災を機に釜石への愛着を再認識したからだ。
漠然と釜石のために何かしたいと考えていたところ、様々な人との出会いがあり、縁あって釜援隊として働くことになった。
現在は活動の一環として、高校生の地域活動のサポート等にも携わっている。
なっちゃん自身が高校生だったとき、学校生活以外で大人と関わったり地域の活動に参加したりする機会はほとんどなかったし、地域でどんな取り組みがあるのかも全然知らなかった。
今になって、地域にもっと目を向けてみればよかったとか、知ろうとしていればよかったなと思うことが多いとなっちゃんは話す。
勉強や部活で忙しい高校生だが、無理のない範囲でいいから、地域に関わることを通して釜石の文化や歴史を知ったり、今の釜石でどんなことが取り組まれているのか、どんな仕事をしている人たちがいるのかなど、実際に見て知る機会になればと思い高校生たちのサポートを行っている。
初めは大人の立場で何か力になれることがあればと思っていたが、高校生の元気さや行動力や若さが地域全体の元気や活気に直結していることを実感し、高校生たちとの活動を通して、地域の盛り上げを支えている。
≪釜援隊としてのやりがい≫
なっちゃんは釜石出身だが、釜石に U ターンするまで釜石のまちづくりに関わることはほとんどなかった。
釜援隊になり活動をするなかで、活動先の方々、地元釜石が大好きな人、外側から釜石に関わりにやってきた人、釜石のために一生懸命な高校生たちなど、この仕事をしていなければ出会えなかったかもしれない人と出会える。
その縁がさらにその先の活動にも繋がっていくことが、この仕事のやりがいだという。
≪なっちゃんにとってふるさととは≫
“愛着を感じられるところ”
震災前は、ふるさと釜石に対する愛着があることを意識することはなかった。
しかし、東日本大震災が、自分の釜石への愛着に気づくきっかけになった。
生まれ育った釜石を始め、アフリカのセネガル、大学時代過ごした場所など、愛着を感じられる大切な場所はいくつかある。
そんな場所こそがなっちゃんにとってのふるさと