「釜石を3月10日に戻すのではなく、人生をかけて3月10日よりもより良い町にしていく」という目標を持ち、チームスマイルの一員として子どもたちに夢や希望を届け続ける。
≪釜石PITとまちづくり≫
3月11日、忘れもしない東日本大震災。
釜石を襲った大津波は町を破壊しただけでなく、子どもたちから笑顔までも奪っていった。
そんな子供たちの姿を見たときに、「子供たちに夢や希望をあきらめてほしくない」という思いを井筒さんは抱いた。
その思いを胸に、井筒さんはチームスマイルの一員として、第一線で活躍しているスポーツ選手や芸能人との交流を始めとしたエンターテイメントを企画し、子どもたちを中心に夢や希望を持ってもらえるような活動を行っている。
あの日から5年半、チームスマイルは“心の復興”を掲げ続ける。
≪釜石PITの誕生≫
今では釜石のひとの憩いの場である“釜石PIT”
釜石にPITが誕生したのは、井筒さんの“ひとつなぎ”があったからだ。
震災後、井筒さんは復興支援活動に携わっていた。
その活動で、芸術家の日比野克彦先生と出会い、「こよみのよぶね」「ハートマークビューイング」など、日比野先生のプロジェクトを市内の仮設住宅で一緒に開催してきた。
釜石の復興、そしてまちづくりに関しての夢を語り合ううちに井筒さんは日比野先生と親しくなり、東京にも呼ばれる機会が増えていった。
そんなある日、日比野先生からぴあの矢内社長を紹介された。
「岩手にPITを造りたい」との思いを聞いた井筒さん。
矢内社長と釜石の町づくりに携わるひとを結び、釜石PITが誕生した。
≪ラグビー日本代表テーマソングと尺八≫
釜石PIT誕生後、ひょんなことから東京へ出て尺八奏者のマネジメント業に携わり、尺八をラグビー日本代表のテーマ曲にするため井筒さんは尽力することになる。
尺八が日本代表のテーマ曲となるまでの道のりは決して容易いものではなかった。
しかし、ここで“あきらめない”のが井筒さん。
様々な紆余曲折を乗り越え自ら人脈を構築し、切り開き、皆から認められるラグビー日本代表のテーマソングが完成した。
2019年に釜石で開催されるラグビーワールドカップでは,井筒さんが尽力したその曲が釜石へ響き渡ることだろう。
≪やりがい≫
井筒さんは次のように語る。
「東日本大震災後、チームスマイルの尽力により今まで考えられなかったアーティストの方々が釜石にやってくるようになった。夢を現実にできる活動だと自負している。また、次世代を担う子供たちに夢や希望をもってもらえたら嬉しい。」
今日も井筒さんは子どもたちに夢を届け続ける。
≪井筒さんにとってふるさととは?≫
“イカが釣れる最高の場所”
仕事、自然、そしてして愛してやまない“イカ釣り”
自分を表現することが出来て、居心地の良い場所が釜石には沢山ある。
井筒さんにとって釜石は最高のふるさと。