釜石を変えるためのアクションを起こし続ける幸季ちゃんだが、震災を経験する前は地元釜石が大嫌いだった。しかし、震災後、様々なひとたちと接する中で、釜石への愛着が芽生えた。
今では、マグネットぬりえプロジェクトを通して釜石内外を問わず、多くのひとが釜石と関わるきっかけをつくっている。
≪マグネットぬりえプロジェクトを始めたきっかけ≫
高校2年生のとき、各地から100人の高校生が集まって、地元の問題点を発掘し、その解決に向けたアクションを起こしていくためのイベントがあった。
幸季ちゃんもその会議に参加し、地元釜石のためになにかしたいと考えた。
そのときに気が付いた問題点は仮設住宅に住んでいる人たちは“仮設住宅”を“家”と呼んでいないということ。
そこで、自分の住んでいる仮設住宅に愛着をもてるようになれば、家と呼ばれるようになるかもしれないと考えた。
愛着を感じられるようにするために、仮設住宅にカラフルなマグネットを貼ることを思いついた幸季ちゃん。しかし、そのアイデアを形にするにはどうしたらいいかわからなかった。そんなとき、周りの大人たちの協力によって、マグネットで仮設を彩っていた日比野勝彦さんというアーテイストとつながることが出来た。
日比野さんは幸季ちゃんの抱く釜石への熱い思いに感動し、全面協力することを約束した。
そして、日比野さんや周りの大人たちの協力のもと、マグネットプロジェクトは現実のものとなった。
今では全国各地から賛同され、仮設にはカラフルなマグネットが張られている。
そして、釜石から始まったこの活動は先日、震災のあった熊本へと繋がれ、マグネットを通した熊本への支援が行われている。
≪マグネットプロジェクトを通しての喜び≫
仙台で、マグネットを作るワークショップを行ったとき、釜石に行ったことがないひとも、マグネットを通して釜石へ思いをはせることが出来た。
また、作ったマグネットを見に、マグネットが張られている仮設にやってくるひともでてきた。
マグネットが釜石へ足を運ぶきっかけの一つになったのだ。
自分が始めたプロジェクトによって釜石へ関わるひとが増えたことが嬉しかった。
≪将来、釜石とどう関わっていくか≫
現在高校3年生の幸季ちゃん。釜石には大学がないため、大学生になったら必然的に釜石を出なければならない。
今でこそ地元のため活動する幸季ちゃんだが、震災前は釜石のことが嫌いだった。
早く都会へ出たいという気持ちが強かった。
しかし震災で、波は釜石の全てを流した。嫌いなものさえなくなった。
当たり前の風景でなくなった釜石をみたとき、どうしていいかわからなかったが、
復興するための活動を通して様々な大人と出会う機会があり、多様な釜石との
関わり方を学んだ。
そして幸季ちゃん自身が釜石をどうにかしたいという思い、釜石への愛着を抱いていることに気が付いた。
「将来は、釜石に帰ってきたい。」と幸季ちゃんは話す。
釜石には大学がないため、高校を卒業した後は釜石をでていくひとが多い。しかしまた釜石に戻ってきたいと思うひとが増える、自分にしか出来ないような取り組みを次の世代にしていきたいと語った。
≪幸季ちゃんにとってふるさととは≫
“変幻自在なもの”
ふるさと釜石は、津波によって瓦礫で覆いつくされてしまった。
しかし、たくさんの人が釜石を立て直そうと力を合わせ、新しい釜石へとまちづくりは動いている。
あんなにも壊滅的な被害を受けた釜石がここまで変わることができたのだ。
ふるさとはどんな形にもなれると幸季ちゃんは力強く話した。