釜援隊として3年半、唐丹町の地域に自ら入り、地域に寄り添うことで復興の一翼を担ってきた。
釜援隊を卒業した現在も、唐丹地区に残り唐丹町を盛り上げるためのサポートをしている。
≪釜援隊に入るまで≫
震災が起こり、ボランティアとして釜石にやってきた。
地域のひとたちとの交流や、地域のひとの心に寄り添うようなボランティアをしたことで、被災地に必要なことは“地域に寄り添い、課題を解決してく事”だと気が付いた山口さん。
そのために、自分が地域に入り長期間にわたり活動が出来る団体はないかと探していたところ“釜援隊”と出会い、そのまま釜石へ移住することを決意した。
≪唐丹町でのアクション≫
山口さんは釜援隊として唐丹町に派遣され復興という大きなミッションのもと、唐丹町内で、町内会や地域イベントの運営や、唐丹町の地域活動に必要な資金獲得の補佐などを行ってきた。
山口さんの役目は地域のひとたちのやりたいことの実現の手助けをすることである。
自分が関わることで、地域のひとたちがやりたいことが実現した瞬間を見たとき、
釜援隊をやっていて良かったと感じるそうだ。
現在は釜援隊を卒業したが唐丹町に留まり、変わらず唐丹町のサポートを行っている。
≪唐丹町のこれからのビジョン≫
「唐丹町を“わくわくする町”にしていきたい。」と山口さんは話す。
もともと唐丹町は独自に様々な取り組みを行ってきたという歴史がある。
山口さんの描く“わくわくする町”とは地域にある資源(歴史や文化、自然)を活かしたイベントや事業が定期的に行われ、地域の子供から高齢者までが 参加できる地域。
そしてそんな地域のわくわく感が外にまで伝わるようにしたい。
そしてなにより、いろんな取り組みを進めていく事で、住んでいる高齢者が健康で楽しく暮らせる町にしたい。
まだ道半ばとの理由で唐丹町に留まった山口さん。
目標実現のため、まだまだ山口さんの挑戦は続く。
≪山口さんにとってのふるさととは≫
“はじまり”
ふるさとは自分の生まれた場所、育った場所、自分という人間が創られた場所でもあれば、
様々なきっかけを与えてくれた場所でもある。
ふるさとがなかったら、今の自分はいない。
山口さんにとってふるさとは“はじまり”の場所なのだ