「東北の子どもたちの現状を自分の目で見て伝えたい。」と思い、仕事を辞め、埼玉から釜石にやってきたがんちゃん。
半年間のインターンシップを終えて現在はさんつなのスタッフとして、子どもたちを始め、釜石内外のひとを結ぶがんちゃん。
≪釜石にやってきたがんちゃん≫
元々、埼玉で学童保育にて働いていたがんちゃん。東日本大震災が起こってから時間が経つにつれ、子どもたちの中で震災の意識が薄れていくのを感じた。子どもたちに震災のことを何とか伝えたいと思ったが、伝わらなかった。伝わらなかったのは、自分が東北に行って見て感じたことではなかったからだと痛感した。
埼玉での仕事を辞め、さんつなで半年間のインターン生活が始めるため、がんちゃんは釜石にやってきた。自らが東北で感じたこと、東日本大震災のこと、東北の子どもたちの様子などを埼玉の子どもたちに届けるため“がんちゃん通信”を発行することを決めた。
「仮設住宅ってどんな場所なの?」「仮設の小学校には先生はいるの?」など、子どもたちはがんちゃんの東北の話を聞くたび、東北の現状に興味を示すようになった。
現在も、東北の復興への歩みを“がんちゃん通信”を通して埼玉の子どもたちに伝え続けている。
≪釜石にとどまるという決断≫
さんつなで1年間活動し、放課後子ども教室の運営や、子どもたちと大学生ボランティアの交流、釜石の若者の活動のサポートなど、多岐にわたる活動を続けていったがんちゃん。1年が経ち、埼玉に帰るか、釜石に残るか悩んだと言う。しかし、釜石に残る決断をする上で背中を押したのは“釜石で出会った人々の存在”であった。
「1年間成長を見てきた子どもたちの成長をまだ見ていたい、地域のために立ち上がる若者を支え続けたい。」そんな思いががんちゃんの胸にこみ上げた。
沢山のボランティアがやってくる釜石は出逢いも多いけれど、別れも多い場所だ。「またね。」と言ってもう来なくなってしまった人を釜石の人はどれほど見ているのだろうか。
「自分が残ることを素直に喜んでくれる人がいる。簡単にはここを去れない。」がんちゃんは釜石にまだ留まる決断をした。
現在は三陸ひとつなぎ自然学校のスタッフとして釜石内外の人々をつなぐ役割を担い、皆のサポートに尽力している。
≪活動のやりがい≫
がんちゃんにとって、活動のやりがいは“ひとの成長を見ることが出来る瞬間”だそうだ。
ボランティアであっても、釜石の若者であっても、活動を共にしていく中でその人が成長していく姿を見ることが出来るのが嬉しい。その人の成長をサポートしていくことが自分の役割であるとがんちゃんは話した。
≪がんちゃんにとってふるさととは≫
“大切なひとたちに会える場所”
ふるさとは一つじゃなくてもいい。家族、埼玉の友達、前の職場で預かっていた子どもたち、
釜石で出会った人々、そんな大切なひとたちに会える場所ががんちゃんにとってのふるさと。