明るく人懐っこい笑顔のJOYさんの周りには、いつも沢山の人で溢れている。
3月11日から子どもたちのために走り続けて5年半。
気がつけば一緒に伴走してくれる人がいつの間にか増えていった。
「みんながいたから今の自分がいる。」と何度も話すJOYさん。
≪放課後子ども教室≫
東日本大震災が起こった直後、フェリーに乗ってすぐに北海道から釜石に飛んできたJOYさん。
避難所で最初に目に飛び込んできたのは暗い顔をしていた子どもたちだった。
“外で思いっきり遊びたい”そんな子どもたちの思いが伝わってきた。
自分に出来ることは子どもたちの力になることだと思い、避難所にいた子どもたちを預かり、自由に遊べる態勢をたくさんの方々の力を借りて整えていった。
一緒に遊ぶ中で、暗い顔をしていた子どもたちに段々と笑顔が戻っていくことが嬉しかった。
避難所が閉設された現在は、くりりんの森や仮設住宅の談話室を借りて、子どもたちが楽しめるイベントを企画したり、子どもたちが自由に遊んだり勉強できる場を作ることで、子どもたちの居場所作りを引き続き行っている。
子どもたちのために走り続けてきた5年半を振り返ったとき必ず思うことが
「一人ではここまでやれなかった。みんながいたから今の私がある。」ということ。
壁にぶち当たり悔しい思いでいっぱいになったり、くじけそうになったりした時も沢山あった。そんな時、手を差し伸べてくれた人、支えてくれた人が大勢いた。そんな人たちがいたからこそ一人じゃ出来ないことも成し遂げることが出来た。まさに“ひとつなぎ”があってこそ今のJOYさんがいる。
≪子どもたちの大黒柱として≫
「JOYがいるなら、安心。」とそんな気持ちで子どもたちは放課後子ども教室に通う。まさに放課後子ども教室の大黒柱のような存在であるJOYさん。
子供たちと長く付き合っているからこそ、子どもたちの成長していく姿を間近で見られることがやりがい。最近では「大きくなったらさんつなでボランティアをしたい!」と話す子が出てきた。自分の背中を見て、誰かの役に立ちたいという思いを抱いてくれている姿を見て嬉しく思った。
≪郷土料理研究会≫
文化はその担い手である人がいなくなると簡単に消えてしまうことを、震災を通して実感したことが郷土料理研究会に関わるようになったきっかけ。
もしも震災で、ばあちゃんが死んでいたら、“ばあちゃんのきらず団子”は一生食べられなくなるのかと釜石へ帰るときに考えていた。
その時、伝承していく大切さに気付いた。
釜石には美味しい郷土料理を作れる担い手がいる。
だからこそ、その人たちの味を伝承し、次の世代に伝え続けていく必要がある。
JOYさんは郷土料理研究会のお母さんたちと、若い人を結ぶ役割を担い、郷土料理の伝承のため走り続けている。
≪自分が支えになっていた≫
「みきちゃんがいるからやってこれた。みきちゃんに出会えてよかった。」と郷土料理研究会のお母さんたちに言われたとき、涙があふれそうになった。がむしゃらに走り続けてきた5年半、自分が関わり続けたことが、地域の人の支えになっていると実感できた瞬間だった。
≪JOYさんにとってふるさとは≫
“自分を必要としてくれる人がいるところ!!”
子供たち、地域のひと、同僚、ボランティアなどを始めとした自分を必要としてくれるひとたちがいるところがJOYさんにとってふるさと。