栗林と鉄のことを話し出したら、信孝さんの右にでるものはいない。
釜石観光ボランティアガイドとして、ふるさとの魅力誰よりもしっている信孝さん。
≪鉄っていったら俺しかいねえべな≫
18歳で釜石の製鉄所に就職し、その後釜石を出て各地域の製鉄所で働き、60歳で釜石にUターン
釜石に戻って暫くしてから、橋野鉄鉱山が150周年を迎えた。
世界遺産にしたいという地元の思いもあり、ガイド会から信孝さんに声がかかった。
製鉄関連の仕事を長年続けていたことから、誰よりも製鉄のことを知っているという自負があった。「俺しかいねえべな。」と思い一念発起。
釜石観光ボランティアガイドとして、橋野鉄鉱山を訪ねてくる人々に栗林や製鉄の歴史の話をしながら案内している。
≪橋野鉄鉱山が日本の近代製鉄を作った≫
なぜ、あのような山奥に鉄高炉を作ったのか疑問に思うひとも多いかもしれない。
実は、あの場所には鉄を作るための主要な5つの条件が全てそろっていたのだ。
5つの条件とは、原料である鉄鉱石、山の木々から作る木炭、川の水が動力源である水車、豊富な花崗岩、鉄を専門職とする人たち。
この5つがそろっていた完璧な場所は橋野鉄鉱山しかなかった。
そして、この5つの条件に目をつけたのが、盛岡出身の大島高任。
大島が江戸幕府と近代製鉄を結びつけ、開国間近の日本を動かす立役者として動き出す。
さて、大島が橋野鉄鉱山を武器に幕末にどのような風を巻き起こしたか。
続きは、是非橋野鉄鉱山で信孝さんに聞いてほしい。
≪ガイドのやりがい≫
ガイドをしていると、様々なひとに出会える。
世界遺産めぐりをしている80歳のおばあさん、歴史好きで橋野鉄鉱山を訪ねてきたひとなど、普段関わることがないひとと話をできるのが新鮮だ。
訪ねてくる人から色々な話を聞けるのも面白いし、ガイドとして自分のふるさとを自分の口でアピールできることもガイドとしてのやりがい。
≪信孝さんにとってのふるさととは≫
“語りぐさがいっぱい”
栗林の歴史や、橋野鉄鉱山の歴史、そして鵜住居川をはじめとした栗葉野菜の自然の美しさなど、誇りをもって話せる場所がふるさとには沢山ある。
語りだしたらとまらない、そんな場所こそが信孝さんにとってふるさと。