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ホーム > 釜石のひと > 野呂文香ちゃん

釜石高校2年生
野呂文香ちゃん

津波防災授業の地域格差をなくすためにプロジェクトを起こした文香ちゃん。

大好きな釜石のために積極的に様々な活動に参加している。

 

<震災で感じたこと>

文香ちゃんは小学校3年生の時に東日本大震災を経験した。当時は避難中に聞いた大津波警報の意味がわからず、これから起こることの予想もつかなかった。迎えに来た母親の車で初めて津波の映像を見て大きな衝撃を受けた。

震災から数か月後、釜石の沿岸部の子どもたちが自主的に避難して津波から生き延びたというニュースを見た。

そこで文香ちゃんは「自分はもし沿岸部にいたらこの津波から生き延びることが出来たのだろうか。」という疑問を持った。なぜ自分の学校には津波防災授業がないのだろうか。そんなモヤモヤした気持ちを抱えたまま高校生になった。

 

 

<津波防災授業>

高校生になって、大学受験に役立つと先輩から聞いていたことからボランティア活動に参加し始める。ささいなきっかけから始めたボランティアだったが、やっていくうちに活動の面白さを感じ始めた。それと同時に、釜石には地域のために頑張る大人がたくさんいることに気づいた。その頃の文香ちゃんは釜石のことがあまり好きではなかったので、どうして何もない釜石のためにこんなに頑張っているのだろうと感じていた。しかし、地域の大人と関わる機会が増えるほどに、そんな熱く頑張る大人の姿を見てかっこいいと感じるようになり、頑張っている人がたくさんいること自体が釜石の魅力なのだと気づいていった。そこから釜石についてもっと知りたいと思うようになった。

また、釜石はラグビーワールドカップの開催に向けて盛り上がっており、そこでもたくさんの人が頑張っている。今まで何もないと思っていた釜石は夢や未来で溢れているんだ!そう気づいて釜石のことがだんだん好きになっていった。

そんな中、あるプロジェクトに参加し、釜石がこうなったらいいなということを考えているうちに、小学校3年生の時に感じたことを思い出した。

「わたしは津波防災授業の地域格差をなくしたい」

このずっと変わらぬ想いが文香ちゃんを突き動かした。

 

 

<葛藤とブレない想い>

津波防災授業というテーマは、命に関わるテーマである。自分の教えたことが間違っていて、結果的に教わった子どもたちが命を落としてしまうことがあったらどうしよう。そんな大きな責任に押しつぶされそうになることもあった。

また、勉強や部活動、ボランティア活動、世界津波の日高校生サミットへの参加、自分のプロジェクトとやることだらけで一杯一杯になってしまう時期もあった。

そんな時に支えてくれたのは、一緒に活動を支えてくれていた友達や地域の大人、担任の先生、そして家族の存在であった。自分の活動を認め、応援してくれ、時には自分のことを心配してくれる人がいる。それがすごく嬉しかった。

そして、文香ちゃんが津波防災授業を行う上でぶれなかった2つの想いが自分の支えとなっていた。「内陸の子どもも津波から生き延びられるようになってほしい」「釜石の子どもたちにもっと釜石を好きになってほしい」

震災を経験し、釜石のことが好きではなかった時期があった文香ちゃんだからこそ、説得力のある授業ができる。このブレない想いに支えられて頑張ってきた。

 

そして、2019年2月に自分の母校である甲子小学校4年生に向けて津波防災授業を行った。子どもたちは真剣に話を聞いてくれた。

自分の想いが伝わったことで、達成感と安心感でいっぱいだった。これは今まで悩みながらもみんなの力を借りて乗り越えてきたからこそ感じられること。

次は自分の子どもにも授業をしてほしいという声もあり、これからも頑張ろうと思えた。

 

春から高校3年生になる文香ちゃんはいったん活動に一区切りをつけるが、大学進学後もこの活動を継続していきたいし、将来も防災授業を広めることに尽力していきたいという。

「どの地域に住んでいても津波から生き延びられるようになってほしい」

この想いを届けるための取り組みはまだ始まったばかり。これからの進展が楽しみである。

 

 

 

<文香ちゃんにとってのふるさととは>

“大好き”

今ではすぐに釜石のことが大好きと答える文香ちゃんだが、地域活動に参加するまではあまり釜石のことが好きではなかった。

津波防災教育の普及とともに郷土愛の大切さも伝えていきたいという。もっとたくさんの人が釜石の大人と接する機会を持ち、釜石のことを好きになってほしいという想いを伝え続けていく。