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『震災の経験がつなぐ未来—循環する防災の意識と学び』

2025.3.31
さんつな 代表 伊藤 聡

釜石で防災や震災伝承活動を行う高校生グループ「夢団」のメンバー6名とともに、能登半島地震や奥能登豪雨で大きな被害を受けた地域を訪れた。

きっかけは能登の支援活動を通して知り合った、とある元教員との出会い。
2011年の東日本大震災の報道を通じて「津波てんでんこ」や、学校の管理下にあった小中学生全員が無事に避難した「釜石の出来後」などの防災教育の成果を知ったことで、自身が務める中学校で、本格的な防災教育に取り組んだこと。そして、この取り組みが今回の能登半島地震でも一定の効果をもたらしたという事実を知ったこと。

私自身も、3.11当日は海に程近い旅館で働いており、津波に追われる様に逃げた裏山で一命を取り留めた。その際に津波の映像を撮影していたこともあり、語り部としての活動を現在も続けている。
「山の中にとどまるか?それとも山を下りて、旅館の4階へ向かうか?」
語り部として話をする際は、必ず聞き手が自分で考える場面を設けている。突如として訪れる自然災害では、瞬時にさまざまな選択を迫られるため、その重要性を実感してもらうことが目的だ。この14年間、 “未来のいのちを守る”ために、そうした語りを続けてきたことである。
しかし、自分の経験を伝えることが、誰かの役に立っていると実感する機会はこれまで一度もなかった。ところが、2024年2月からRQ能登のサポート役のコーディネーターとして関わる中で、3.11の経験が能登で活かされたという出来事に直面し、大きな高揚感を覚えた。

釜石の高校生による防災・震災伝承活動グループ「夢団〜未来へつなげるONE TEAM〜」のメンバーは、東日本大震災当時、まだ2〜3歳で、当時の記憶を持つ者はごく限られている。
このグループが生まれたきっかけは、ラグビーW杯2019の会場の一つに選出された釜石の「鵜住居復興スタジアム」で語り部や“津波伝承うちわ”の配布といった伝承活動を行ったこと。
“震災の記憶が残る最後の世代“というキーワードのもと、コロナ禍の影響で思うように活動が出来ない中でも、高校生らしい取り組みを続けてきた夢団も、”記憶のない世代“が大半を占める世代となっている。
記憶がなくともできる活動はある。実際、語り部として活動している高校生の多くは震災の記憶を持たないが、自身の経験や学びをもとに語っていたり、直接的な震災の経験のある人から聞き取ったことを語り継いだりと、それぞれ工夫しながら語り部活動を行っている姿を、尊さを強く感じながらサポートをしている。
一方で、防災意識の低下を感じることもある。震災から年月が経つにつれ、意識高く活動に参加する高校生の数は減少している。

「能登の経験を逆輸入できないだろうか?」そう考えた。釜石の出来事をきっかけとして始まった能登の防災教育に触れることで、釜石の高校生の防災意識の向上が見込めるのではないか。連れて行ける人数には限りがあるが、そのメンバーから次世代へと伝播させることで、意識の底上げにつながるのではないか。

そうした思いのもと、4泊5日の被災地支援活動と被害状況の視察を実施した。
訪問したのは、奥能登地域の能登町。特に町立小木中学校の防災活動は素晴らしく、防災甲子園で大賞を受賞した実績もある。受賞当時の校長である大句わか子氏に、事前のオンライン研修の講師と、小木地区の案内をお願いした。
残念ながら小木中学校は2024年度で休校となるが、私たちは2学年の授業にお邪魔させていただき、同校の取り組みを紹介していただいた。また、お互いの防災に関する考えを交換し合う時間を持った。
翌日は地震と津波の被害が甚大だった白丸地区を訪問。住民の方々の協力により、現地を案内していただいた。残念ながら一名の住民が倒壊した家屋内で犠牲となったが、多くの住民が3.11の教訓を活かし、協力しながら高台へ避難したことで命を守ることができたという。

そのほか、珠洲市の商店街や津波被害の大きかった地域、公費解体が急ピッチで進められている地域などを視察し、最終日には輪島市門前町で支援活動を行うRQ能登のボランティア活動に参加した。

夢団の高校生たちは、消化しきれないほど多くの経験を積んだ。今後、活動報告会や動画による発信を予定しており、その中で彼らが何を感じ、何を学んだのかが明らかになっていくだろう。
「 “被災”というもののリアルを感じられた」「(記憶はないが)3.11と重ねて被害状況を知ることができた」「私たちの地域も、こういった方々(ボランティア)に支えられて今がある」
そんな言葉の一つひとつに、彼らの確かな成長がにじんでいる。
震災の経験や学びが、世代や地域を超えて循環し、新たな防災の意識を生み出していく。このつながりをさらに広げていくために、今後も能登の支援を続けながら、夢団の活動を支えていきたい。

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本事業は、「内閣府 ボラGO」「大和証券財団」「Tri4Japan」の支援によって実施されました。

また、さんつなの能登半島地震ならびに奥能登豪雨災害の被災地支援活動は「赤い羽根共同募金 ボラサポ」の助成で実施しています。

昨日のトークセッションに参加してくれた、RQ能登の岩手チームのお二人!
2/16は岩手大学地域防災研究センターさん主催のトークセッションでお話しさせていただきます!!
 
 
 
 

 

今日はこちらの研修に参加。災害支援の第一線で活躍されている皆さんからお話しを聞く機会は貴重なんで感謝感謝!
平時にやるべきことはてんこ盛りですが、岩手にはこのネットワークがあること自体が価値ですね!
能登町小木地区の方々と、大槌から現地へ訪問した皆さんのお話を伺いに大槌へ!
 
皆さんのお話に触れて、こちらの震災後もあれこれ降りかかってきて常に追い込まれてる感があったんですが、ETIC.さんのプログラムで中越に行かせてもらってからは、フェーズの移り変わりを意識することだったり、復興とは?という大きな問いに自分なりに納得できる答えに行きつくことができて凄く楽になったのを思い出しました
 
小木の皆さん凄くいい人たちでいろいろ話したかったんですが、次があったんで泣く泣く移動(><)
やっぱ祭りですかね!
 
今日は研修の講師で滝沢にきてます!
 
栗山行ってきました!
メインは栗山町社協さんからの依頼で、震災から13年経った釜石の様子をお伝えしつつ、ボランティア連絡協議会さんの総会後の研修だったので、釜石で行っているボランティア活動を通した人材育成のことや、ちょっとはみ出して能登のこともお話しさせていただきました!
ちなみに栗山の皆さんとのつながりは、震災翌年にボランティアに来てくださった際に、コーディネートをやらせてもらったのがご縁です
コロナがあったので、めっちゃ久々の訪問でしたが当時のメンバーにお会いできたのが何より嬉しいです✨
そして当時大学生のときにボランティアに来てくれた面々との再開!みんな素敵な30代に成長していて本当に素晴らしいです!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
写真の説明はありません。
 
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昨日は恐れ多くも越野先生と共に、さらに恐れ多くも道内の市区町村長政策研究会でお話しさせていただきました!
 
y=ax
 
有事の前にどれだけaの値を最大化できるかが勝負!
 
 
釜石の社協さんからお誘いいただき、災害ボランティアセンター設置運営に係る研修訓練に参加させてもらいました。
 
3.11では直接的にタッグを組んでいた訳ではないですが、釜石市内で活動する支援団体同士で適宜連携していました。
 
その後に発生した2016・2019年の台風被害の際は、発災初日から現場に出てニーズ把握をしながら緊急支援活動をしていましたが、特にラグビーW杯の貴重な一試合が中止となった2019年の水害発生時は、釜石のボラセンとガチで連携して活動させていただきました!
 
そういったご縁もあって、民間セクターとしてお声がけをいただいた訳ですが、社協・行政・民間の三者が平時から顔の見える関係となってそれぞれの強み等々を理解しておくことは、緊急時に迅速に的確に支援活動が行えることにつながる訳ですから、企画&関係各所に声がけしてくださった釜石社協さん本当にありがとうございます(><)
 
”社協のキャパが緊急支援の限界になってはNG”
 
↑細かい文言は抜けてしまいましたが、こういった強い想いをベースに社協さんが抱えている課題をあげていただき、それを元に議論するという感じでしたが、良いことも悪いことも臆せず開示してくださって本当に頭が下がります(><)
おかげで平時に自分らがやるべきことがクリアになりました✨
 
ひとまず後回しにし続けてきた、夢団とか高校生時代に一緒に活動してきた卒業生たちのコミュニティづくりを徐々に仕掛けていきます!
 
明日は秋田!!
 
 
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