心が満たされ、お腹が減ったところで、みんなでお弁当。そしていよいよ巨大カステラの焼き上がり!
4/12(土)から北海道の各地において、さんつなの活動報告をさせていただきました。
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初日の夜は、東日本大震災直後より多くの若者を北海道から送り込んでくれたNPO法人ezorockさんにお邪魔しました。
代表の草野さんより、そもそものezorockと釜石とのつながりを改めて共有していただき
その後に、さんつなの活動報告をさせていただきました。
ezorockは釜石での支援活動の他にも、
ふくしまキッズへ道内の若者を送り込んだり
若者がボランティア活動に関わる橋渡しをしています。
これらの3年の活動を通しての共通認識としては
ボランティア活動を通して地域に関わることで実に多くの若者たちが育っているということ。
さんつなに関わってくれた多くの若者たちも、釜石での活動を通して目に見えて成長して故郷に戻っている・・・
釜石というフィールドが「育ち合える」場として、価値を提供出来る土壌をつくり上げていきたいと思います。
(伊藤)
4/12(土)から北海道の各地において、さんつなの活動報告をさせていただきました。
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初日は栗山町にて、2012年10月にボランティアに来ていただいた7名の方を始め、
総勢40名程の方々にご来場いただき、当時活動をしたフィールドのその後や、
この3年間の被災地や活動の移り変わりなどをお話させていただきました。
この日は栗山町でサークル活動をしている方々が集まって、
自分たちの日ごろの活動の成果発表や手づくりの小物を販売する「手作りフェスタinくりやま」が行われていて、
その会場でお話させていただきました。
そこで感じたのが、実に多くの方がサークル活動に参加していて、
日ごろからゆるいつながりを持ちながら活動を行っていること。
緊急時においてはこの様なネットワークこそが活きることを、
身を持って体験したので、率直にそのことをお伝えさせていただきました。
また、決して背伸びはせずに「普段、自分たちがやっていることで被災地を応援する」という姿勢にもとても共感出来ました。
長く続く東北の復興においては、細くても長く関係を保てる様な活動が求められているのかもしれません。
(伊藤)
ここ最近の釜石は暖かくてとても穏やかな日が続いています。
4月になって、日々春の訪れを感じている今日この頃です。
わかめ漁の最盛期を迎えた浜も、
夜明けとともに動き出す漁師さんたちで活気づいています。
震災前における国内産のわかめのシェア75%を占めていた、いわゆる「三陸わかめ」ですが、
生活基盤の安定もままならない中で、限られた資源や人手をフルに活用しながら日本の食卓を守っている・・・
そんな一次産業の現場にお邪魔しながら、
長期的なスパンで、一緒に漁業の未来を考えながら関わる「にわか漁師すっぺし!」プログラムを行ない
三陸の漁業を支える人を受け入れています。
現地では若手の部類に分けられる
40代前半の久保さんという漁師さんのお世話になっています。
関わっている中でとてもいいなと感じているのが、世の中で最も基本的なコミュニティの集合体である「家族」が感じられること。
第一次産業の世界では、忙しい時期には家族総出で家業を支えるのが当たり前に続いていますが、
今の世の中はあまりにも多様化が進みすぎて
最も身近にある「家族」ですら疎遠になっている様に感じます。
休みの日には小学校5年生の子どもだって立派な戦力になっています!!
人手や担い手不足が大きな課題となっている第一次産業のお手伝いをしながら
新しい価値観を持ち帰ることが出来る「にわか漁師すっぺし!〜わかめ編〜」は4月いっぱいです!!
興味のある方は、ぜひご一報ください!
(伊藤)
【2014.2.10】
地元の住民有志による「根浜ハマボウフウ研究会」が立ち上がりました。
目的は美しい根浜海岸を取り戻すこと!!
発起人12名が集まって行なわれた設立総会ですが・・・
「純粋にハマボウフウを復活させたい人」
「とにかく復興のために何かしたい人」
「そもそもハマボウフウを始めて知ったけど楽しそうだから関わる人」
きっかけは十人十色ですが、地域のために動くという根っこの部分は共通しているので
500円の年会費を取るか取らないかで激論を交わす時間も有意義に思えました。笑
根浜海岸にはハマボウフウという海浜植物が自生していたんですが、
3.11の津波の影響によって全く姿が見られなくなり、
地元に愛着のある方々が、ボランティアで浜の確認作業を行っていました。
一方で、被災地の復旧・復興は、自然環境の変化についてはほとんど考慮されることなく、
予算の多くは大規模工事に振り分けられ、スピードと効率によって決められている感があります。
この様な、淡々と復旧工事が進められている現状を危惧した住民が、まずは自分たちで出来ることから始めようという想い
「根浜ハマボウフウ研究会」は結成されました。
会長の佐々木虎男さんは、自然環境の復興について全く議論されない現状に対して日頃から不満を口にしていました。
未来に残すべきものを住民の手によって繋いでいく活動の取っ掛かりとしてハマボウフウを選択しましたが、
地域の歴史や文化、受け継がれてきた技や伝統などを守り繋ぐ活動へと徐々に広がりを持たせていければと考えています。
ちなみに私は事務局長のポストをいただきました。
皆さんを支えながら一緒に実りある活動へと繋げていきたいと思います!
(伊藤)
当団体が放課後子ども教室を実施しているなかで感じてきた様々な課題を受け、
改めて、地域の子どもの居場所について考える必要があるのではないか…
という想いから11月24日に子ども居場所フォーラムを開催しました。
当日のフォーラム会場の半分は、11月8,9日に子どもたちと実施したかまっこ祭を再現したブースを作り、
来てくださった方々のお子様も遊べるようにセット。
子ども達がキャッキャと遊ぶ、和やかな雰囲気のなかで、フォーラムを行ないました。
フォーラムは以下の内容で実施
- 活動の事例紹介(私たちが地域の方々と子どもの環境について考えなおすために実施してきた活動など)
- 吉成氏の基調講演(NPO法人岩手子ども環境研究所 理事長(森と風のがっこう コーチョー)
- 教育委員会、主任児童委員、当団体職員によるトークセッション
実施側の私たちにとってもこれらの活動が初めてのことではありましたが、
現状を把握し、そこで自分たちになにができるのかを考え、活動を展開することを地道にしていくことで、
たくさんの方々が協力をしてくださいました。
課題はそのままにしておけば、そのままですが、一歩踏み出すと周りも動き出す・・・
そう感じることができました。
また基調講演で話題に出た「根拠なき自信」
「根拠がある自信」は勉強やスポーツをがんばることで培われるが、
それらで負けたとき、挫折したときに自分を支えることができるのが「根拠なき自信」であると吉成氏。
「根拠なき自信は、子どもたちが生まれて育った地域の住人であるおじいちゃん、おばあちゃんたち、おじさん、おばさんたちから怒られたり、ほめられたり、あいさつをしたりされたりする中で自然と育まれたものなのだから。」
(2013年12月8日岩手日報掲載 「根拠なき自信」を育む 吉成氏より)
私自身も小さい頃、親だけでなく、ばあちゃん、おじ、おば、近所のおばあちゃん方に気にかけられながら、大きくなりました
あの心地よい感覚をまた感じられる故郷で生きたい、これが私自身が釜石に戻り、
またこの町に住みたいと感じた理由の一つでもあります。
帰ってきてほっとできる場所。
そんな場所を今の子どもたちにもつくることが必要であり、
そういう地域で育つことが地域を愛する原点になるのだと感じました。
今回の一連の流れを通して、そういった環境を地域の方々と一緒に作っていきたいと強く思いましたし、
今後の地域づくりへのヒントも見えてきたように思います。
最後に子どもたちと一緒に実施した「地域かまっこ祭」のMOVIEを作成しましたので、ご覧ください。
(柏﨑)
オール電化の家も増え、家の中でさえ、火を間近に見る、感じることができない時代。
こういう時代だからこそ、火に触れ、火がどういうものなのかを知ることが大事なのではないかと感じています。
サルが人間に進化した最大のきっかけは生きるために知恵をしぼり、火を扱えるようになったこと。
それができることは生きる根源を学ぶことにつながるのではないかと感じ、
10月5,6日にさんつなくらぶ〜三陸ひとつなべキャンプ〜を実施するに至りました。
参加者は市内の小学生15名、夏のキャンプのリピーターが半分と初めての子たちが半分。
どきどきとわくわくの子どもたちが集まった今回のキャンプのテーマは「火」。
1泊2日ひたすら、火をたき、ご飯を食べる。
一見、単純と思われることではありますが、だからこそ子どもたちが自主性をもって行動できたプログラムになったと思います
例えば・・・
火をたくために、森に行き、柴刈り。
それを使い、火をつけ、その火でわかしたお湯でラーメンを煮る。うまい!! ん??
さっき柴刈りして持ってきた木がもうない!!?これではおやつも夕食も、朝食も作れない。困った・・・
そう理解した子どもたちは、スタッフがなにも言わずとも柴刈りに行こうと言い出しました。
生きるために、食べる。
食べるために、火をおこす。
火をおこすために、柴刈りをする。
まさに生きるために子どもたちは自ら、考え、行動に移しました。
今の便利な生活から考えると、面倒なことだったかもしれません。
でも大人からの強制ではなく、自分たちがやらなきゃと思った時の子どもたちの行動は本能そのものでした。
「火は危ないし、恐い?でも便利だし、おもしろい!」
参加した子がふとつぶやいた言葉です。
「危ないから、触らせない。」ではなく、
「知らないから、危ない」のではないか・・・
子どもの言葉を聞き、改めてそう感じ、今回のキャンプの意義を感じました。
最後にこのキャンプには柴刈り場所の提供、差し入れ、
様子を見に来てくださった地域の方々やプログラムをディレクションしてくださったNPO法人ねおすの上田さん、
ボランティアさんなど・・・
たくさんの方々に支えられて実施ができました。ありがとうございました。
今後はこういった地域の方々にも登場していただいたり、交流をする場を取り入れたプログラムを展開していきたいと感じました。
(柏崎)
って、なんだろう…
最近、そんなことを、よく考えます。
転勤族の家庭で育った私は、
幼少の頃から、全国を転々としてきました。
各地で様々な人との出会いがあり、
複数の土地での暮らしや文化を経験しながら育つ、
それはそれで、貴重な環境で育ってきたなあって、満足しています。
でも、1つの土地に長期間定住したことがないせいもあって、
「ふるさと」という言葉が、
いつも、あまりピンと来ていなかったんです。
先月末、
地域づくりにおける先進的な取り組みを行ってきた、
長崎県の小値賀町へ、視察・研修に行かせていただきました。
ここで私がいちばん印象的だったのが、
小値賀の人たちが、自分の地元に誇りを持ち、自分たちの島をとても愛しているのが、
すごく伝わってきたことです。
会いたい人がいる。
何度も見たい景色がある。
全力で守りたいと思うものがそこにある。
そんな場所が、その人にとっての「ふるさと」になるんだなあ、
と
小値賀に行って
わかったような気がします。
釜石に来て、7ヶ月が過ぎました。
震災により、多くのものを失い、まちの姿は変わったけれど、
そこに根を張り、
脈々と受け継がれてきた文化を守り伝え、
震災前よりよいまちにしようと「ふるさと」を思いながら、
前へ進んでいる地域の人たちに出会いました。
そして私は、これまでよりもっと強く、
その人たちの力になりたいと思うようになりました。
だからそう。
もう釜石は、私にとっての、1つの「ふるさと」に、なっているみたいです。
(橋本)
『復興=誇りを取り戻すこと』
先日、中越へ視察に行ってきました。
3日間の滞在中に印象に残ったのが「誇り」というフレーズ。
中越地震から9年が経過し、
今回お会いした方々は地域への誇りを取り戻し、
震災前よりもよくなった地域に誇りを持ちながら充実した生活をおくっています。
釜石のアイデンティティの一つとして「鉄」は欠かせない存在です。
いわて三陸ジオパークが認定され、橋野高炉跡がジオサイトとして登録されたり、
「明治日本の産業革命遺産」の構成遺産として2015年のユネスコ世界遺産登録を目指していたり、
釜石の「鉄」に対する注目度は今後一層増していくと思います。
「鉄」の話になると、ものづくりの歴史になりがちですが、
実は、豊かな自然環境や海と山との繋がりなどが密接に関わっているということは
あまり取り上げられて来ませんでした。
自然とともに養われてきた鉄づくりの技術や文化、
それと共に培われてきた暮らしは、実はとても価値の高いことだと感じています。
新しい日本の幕開けを支えた釜石の鉄づくりの様に
震災後の新たな暮らし方を提案できるいいチャンスが釜石にはあります。
これまでのハード整備に頼ったまちづくりではなく
自然と共生しながら、鉄づくりを支えた自然環境を活かし、守り繋ぐことで
地域の誇りを取り戻すきっかけとなることでしょう。
ちなみに橋野高炉跡でもソフトバンクの携帯電話が使える様になったそうですね。
(伊藤)
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